チョムスキー「米国にも民主化デモが必要だ」
2011年3月、米ウィスコンシン州のスコット・ウォーカー共和党知事が提案していた法案が強行採決の末、成立しました。公務員労働組合の団体交渉権の制限、医療保険や年金基金の労働者の負担増などを内容とする反労働者法です。州職員、学生、市民らはこれに 猛反発、連日抗議行動が行なわれ、2月には州都マディソンで10数万人を動員するデモに発展していました。ウィスコンシン州の都市部の人口が50万人ほどであることを考えると、いかに大きなデモだったかがわかります。
米国の労働組合の結成や団体交渉権は、大恐慌時代、ルーズベルト政権下で整備が進み、1959年、公的部門で初めて団体交渉権を獲得したのがウィスコンシン州でした。現在、12州を除くほとんどの州で公的部門の団体交渉権が認められています。しかし民間部門および政府職員の団交権が連邦法で認められているのに対し、州職員の団交権は州法で認められているため、団体交渉権の廃止や制限をするには州法を改訂するだけでできるのです。これにつけこんだともいえる今回の反労組法をめぐる動きについて、米国を代表する反体制知識人で言語学者のノーム・チョムスキーが語ります。
米国の労働組合に対する攻撃は第二次世界大戦直後に始まったとチョムスキーは言います。1947年にはストライキの禁止などを盛り込んだタフト・ハートレー法が施行され、労組バッシングのプロパガンダが大々的に始まりました。大恐慌と戦争による民衆の急進化に産業界が恐怖を抱いたためとチョムスキーは言います。レーガン大統領は航空管制官組合のストに徹底した強硬姿勢で臨み、スト破りを大量に雇い入れて、ストに参加した航空管制官全員を解雇しました。レーガン政権下で組合オルガナイザーの違法解雇は3倍に増えたといいます。
レーガン大統領は自由貿易の推進者と知られていますが、実際は「競争力のない米国企業を守るため関税を2倍に引き上げ、戦後最大の保護貿易を推進し、世界有数の債権国から有数の債務国へと転落させた」とチョムスキーは言います。レーガン政権の末期には大恐慌以来の財政危機になっていました。
政財界をあげた組合つぶしをへて、米国の民間部門の労組組織率は7%台まで落ち込みました。しかし公的部門では平均36%、地方自治体となると約40%の組織率を保っています。保守派政治家や産業界にとって、公務員組合は組合つぶしの最後の戦いなのです。
ウォーカー知事は、法案は財政赤字の解消のためだとし、メディアもそのように取り上げました。チョムスキーは、その意図が公務員や組合への攻撃であることは明白だと言います。ウォーカー知事はレーガン大統領の後継者を名乗っているともいわれ、この法案もレーガン大統領にあやかるためだったのかもしれません。オハイオ州やミシガン州でも共和党知事が公務員を標的にした法案を提案し、連邦レベルでもオバマ大統領が2010年11月、連邦職員の給与を向こう2年間凍結するとしました。
こうした「財政再建策」はみな、ゴールドマンサックスやシティ・グループなど財政危機を起こした犯人から国民の目をそらすのが真の狙いだとチョムスキーは言います。公務員の年金や医療保険が財政を圧迫したとして、身代わりに公務員が経済危機の責任を負わされたのです。産業界や金融業界が政治家に選挙資金を出し、政策を自分たちに有利に導いていることが背景にあることもチョムスキーは指摘します。政治は大企業にとって見返りの大きい投資先なのです。(桜井まり子)
*ノーム・チョムスキー(Noam Chomsky) マサチューセッツ工科大学名誉教授 言語学者、著書多数
字幕翻訳:桜井まり子 校正・全体監修:中野真紀子 サイト:中森圭二郎