だれがベナジル・ブットを殺した? 混迷深まるパキスタン 後編
2007年12月27日パキスタンのベナジル・ブット元首相が暗殺されました。1月8日に予定されていた首相選挙を目前に最有力候補が暗殺されるという事件の衝撃で、パキスタンは大きく揺らいでいます。暗殺の知らせが伝わるとパキスタン各地で暴動が起きました。政界に大きな穴があいたパキスタンの今後は濃い霧に包まれています。隣国アフガニスタンではタリバンが勢力を盛り返しつつあり、危険な状況も指摘されています。パキスタン出身でロンドンに住む作家・活動家のタリク・アリとシカゴの歴史家マナン・アフメドが、現在の危機を過去にさかのぼって分析し、パキスタンの政治一家に生まれたベナジル・ブットの波乱の生涯にからめて語ります。
ムシャラフ首相は暗殺を指揮したのはイスラム主義武装勢力だと発表しましたが、ブット周辺からはムシャラフ自身の関与を非難する声もあがっています。2月18日には一時延期された首相選挙が行われる予定ですが、主要な対立候補がボイコットを表明する中で断行される選挙にどれほどの正統性があるのでしょう。
オックスフォード大学留学時代からベネジル・ブットと友人関係にあったタリク・アリは、そもそも彼女が米国の仲介でムシャラフと政治協定を結んで帰国し、米国を後ろ盾にした「テロと戦う唯一の候補」という出来もしない役割を引き受けたこと自体が誤りだったと指摘します。戒厳令下で行われる選挙など無意味だと知りつつ、米国の要求に逆らえず、選挙に突き進んだことが彼女の命取りになったと。
ベネジル・ブットの悲劇は、彼女の父が米国と衝突し、命を落としたことを考えると、さらに深まります。社会改革を進めたズルフィカル・アリー・ブット元首相は米国が支援する軍事クーデターによって失脚し、殺人罪を着せられて処刑されました。彼は死刑囚房で、「我が国は2つのヘゲモニーに支配されている」と書いたそうです。内部の主導権は軍部、外部の主導権は米国です。彼の娘はこの2つの覇権と手を組む決意をし、その板ばさみになったとアリは言います。
米国は自国に協力する信頼できる指導者としてブットの再登板を求め、マスコミは彼女の汚職まみれの過去をきれいに払拭し、パキスタンで唯一の民主勢力だという神話をさかんに売り込みました。忠実な個人のみに頼ろうとするこのような米国の介入が、パキスタンの歴史を通じて政治的な社会構造を十分に育てる機会を奪い、個人崇拝やカリスマ指導者を重視する政治風土を育てたと、マナン・アフメドは指摘します。米国に取り立てられた著名な人物が現れては消える政治劇を繰り返した結果、ブット暗殺の後、人民党は真空状態です。これを打開するには真に民主的な改革を支援することですが、それには長い時間がかかるようです。(中野)
*タリク・アリ (Tariq Ali) 英領インド(現パキスタン)に生まれ、イギリスで教育を受けた作家、歴史家で、評論家。『ニュー・レフト・レビュー』の編集者の1人。著書多数
*マナン・アフメド(Manan Ahmed) 歴史家 パキスタン現代史と南アジアのイスラム史が専門・。フアン・コールのブログInformed Commentなどに書いている
字幕翻訳:岩間龍男
全体監修:中野真紀子