イエメンの政権交代は「中途半端な革命」 サーレハ大統領の訪米の意図とは?
イエメンはアラビア半島の南端に位置し、サウジアラビアと接する共和国です。イエメンで民主化を求めるデモが発生したのは2011年1月、チュニジアのベン・アリ大統領の亡命直後でした。首都サヌアにある広場にはすぐに数万人規模のデモが行われるようになり、6月には大統領宮殿で爆発事件が起こりました。サーレハ大統領は重傷を負い、 サウジアラビアで手術を受けたと報じられています。湾岸諸国協力会議(GCC)はたびたび、サーレハ大統領に辞任をふくむ調停案を示していましたが難航 し、ようやく2011年11月に訴追免責とひきかえにサーレハ大統領は辞任に応じました。
武力衝突が激しさを増す一方のシリアと比べ、イエメンの政権移行は比較的順調に進んだと評価されることがあります。 しかしグレゴリー・ジョンセンは、イエメンの革命は「半分しか終わっていない」と言います。2012年2月、唯一の候補ハディ副大統領が事実上の信任投票で大統領に選出され、サーレハは辞任しましたが、ひきつづき与党である国民全体会議(GPC)の党首です。エジプトやチュニジアのように完全に追放されたわけではありません。ジョンセンはサーレハの米国訪問も「返り咲くための手段だ」と言います。
サーレハ辞任の声が高まるなか、イエメン出身で米国籍をもち、AQAP(「アラビア半島のアル・カイダ」)の精神的指導者といわれるアンワル・アウラーキー師が2011年9月30日、米軍の無人機による爆撃で殺害されました。軍や治安組織を支配するサーレハ一族が、米国の無人機攻撃に協力していることはすでにウィキリークスによって暴露されていましたが 、海外での米軍による暗殺が堂々と行われるのはこうした関係があるからでしょう。
イエメンの革命は、大統領の首をすげかえるだけでなく、サーレハ一族を一掃しないかぎり達成できないとジョンセンは強調します。(桜井まり子)
*グレゴリー・ジョンセン(Gregory Johnsen):プリンストン大学近東研究所の研究員。イエメンに関するブログはbigthink.com
字幕翻訳:山本義行/校正・サイト作成:桜井まり子