中東の覇権争い:内戦化するシリア危機に対して国際社会は?
「アラブの春」がシリアで本格化したのはエジプトの蜂起から2カ月ほどたった2011年3月です。この時以降、シリア政府が民主化デモを武力で弾圧したというニュースがひんぱんに登場するようになりました。早期にNATO軍が介入したリビアとは違い、シリアへの軍事介入に対して国際社会は慎重な態度を取りました。
エジプトからシリア、イラクにかかるこの地域は肥沃の三日月地帯と呼ばれ、東西の接点として歴史的につねに重要な地点でした。第一次世界大戦中には、現在のレバノン、シリア、ヨルダン、イスラエル・パレスチナにかけた地域に大シリアと呼ばれるアラブ王国が樹立し、アラブ民族主義が栄えました。しかし19世紀のオスマン帝国の解体により大シリアは英仏に割譲され、現在のシリアは1946年にフランスから独立しました。1967年の第三次中東戦争でゴラン高原をイスラエルに占領されています。
シリアはアラブ地域の中でもロシアと地理的に近く、1960年代に社会主義政策を取り始めてからソ連の影響が強まりました。1970年以降はアラブ社会主義復興党(バアス党)のハ―フェズ・アサド大統領が就任、30年に渡る統治を行いました。バシャール・アサドは2000年に亡くなった父ハ―フェズ・アサド大統領から政権を引き継ぎ、2007年には99%の得票で再選されています。
パトリック・シールも指摘していますが、シリアに対する国際社会の対応は、欧米アラブ連盟対ロシア中国という対立の構図を示しています。国連安保理の対シリア非難決議は中国ロシアの拒否権で2度廃案になりました。外交の場では、ロシアのラヴロフ外相、アナン前国連事務総長、アラブ連盟首脳らがアサド大統領と会合を重ねていますが、アラブ連盟の中でもカタールやサウジアラビアは軍事介入を要求している強硬派です。シリアへの対応が遅れる一因は、シリアが築いてきた周辺アラブ諸国やロシア・イランとの利害関係の深さが関係しているように思えます。その一方で、シリア国内では、離反兵士らが作る自由シリア軍を中心とする反政府勢力と政府軍との内戦と化し、多くの市民が命を落としています。(桜井まり子)
*パトリック・シール(Patrick Seale):中東問題に関する著名な英国人作家で、『アサド―中東 の謀略戦』の著者。
字幕翻訳・サイト掲載:桜井まり子/校正:大竹秀子