「アパルトヘイトへのロードマップ」 バンツースタン化するパレスチナ国家
ネルソン・マンデラ氏の逝去でアパルトヘイト体制の打破について多くのことが語られています。良い機会ですので、パレスチナ自治政府とアパルトヘイトの相似性を検証した一年前の動画を掲載します。
1012年11月29日、国連総会でパレスチナを主権国家として認める決議が圧倒的多数で採択されました。主権を認められたことの意義は大きく、歴史的な一歩だったのかもしれません。でも、現実に目をやれば、もろ手を挙げて歓迎というわけにはいきません。決議案を提出したマフムード・アッバース大統領の自治政府には、主権国家の実体がないからです。
アッバースは西岸地区を統治していることになっていますが、実質的にはイスラエルの占領統治の代理人です。通貨や切手や旗といった国家のシンボルは与えられていますが、イスラエルによる土地の収奪や家屋の破壊から住民を守るという肝心のことはできません。自治政府には国境を管理することも、徴税することもできず、イスラエル人専用の道路で細かく分断された領土は、独立国家の体をなしていないのです。こんなものを主権国家と呼ぶことは、むしろ弊害の方が大きいかもしれません。国家の体をなさない領土にすべてのパレスチナ人が強制的に帰属させられることになれば、それは南アフリカのバンツースタン、独立国家を装った人種隔離政策と同じです。
表向きは民族紛争の解決のための領土の分割ですが、実際には片方を市民権のない隷属状態におき土地も人権も奪っていきます。こうしたやり方をイスラエルが南アフリカから直接学んだことはアリエル・シャロン元首相の発言にも表れています。1994年にアパルトヘイトが終わり、それを引き継ぐようにパレスチナではオスロ合意にもとずく暫定自治体制が開始します。両国の親密な関係の歴史をみれば、これは必然だったようにも見えてきます。
「隠れた同盟」の著者サーシャ・ポラコウスランスキーによれば協力関係は1973年ごろから始まりました。最初は核開発の協力だったのですが、そこから発展して南アはイスラエルの武器輸出のお得意様となります。イスラエルにとっては大切な外貨獲得源でした。1977年には国連が南アへの武器輸出禁止を義務化しますが、イスラエルは平気で国連決議を破って武器輸出を続け、 経済制裁を受けた南アのために様々な製品の迂回輸出まで引き受けていました。
両国政府の絆は80年代にいっそう強固になり、イデオロギー的な共鳴へと発展しました。その背後にあるのは入植者国家に特有のメンタリティー、敵対的な勢力に四方をとり囲まれているという恐怖感があったのではないかと映画は指摘しています。(中野真紀子)
*アンナ・ノグエイラ(Ana Nogueira)映画の共同監督 元デモクラシーナウのプロデューサーで、ニューヨーク市独立メディアセンター(NYCIMC)の創設メンバー。南アフリカ生まれで、子供のころ家族とともに米国に移住。
*エロン・ダビッドソン(Eron Davidson)映画の共同監督 イスラエル生まれの米国人メディア活動家。
字幕翻訳:玉川千絵子 /校正:中野真紀子