ロバート・J・リフトンとの対話 (2) 悪の社会化 専門家・知識層とジェノサイドの関係
米国の著名な精神医学者、ロバート・ジェイ・リフトンへのインタビューです。リフトンは、広島の被爆者に対するインタビュー調査とその精神的側面に光をあてた『ヒロシマを生き抜く─精神史的考察』の著者として知られています。長年にわたり、戦争をはじめとする極限的な状況における人間の心理について批判的分析を行ってきた研究者です。
近著、Witness To Extreme Century : A Memoir (『極限の世紀の証言者 ~回想録』) では、これまでの自身の活動を、研究者としての学問的行為であると同時に、「証言者」としての行為であったと振り返っています。「証言者」とは、体験を受け入れ、自身の言葉で語り直す人のことだとリフトンは言います。原爆投下とホロコースト、20世紀に人類は最も過酷な歴史を体験しました。そうした歴史に「証言者」として向き合うことが、過酷な体験から意味を見出し、それを乗り越えるために必要であるとリフトンは考えています。今回のインタビューで、リフトンは自身が関心を寄せてきた様々な話題(気候変動、拷問、反戦活動、死刑制度、ジェノサイドなど)について語っています。
このインタビューが行われた少し前に米国心理学会(APA)のスキャンダルが報道されました。米国主導で始まった対テロ戦争において米国が身柄を拘束したテロ容疑者に対し、CIAが政府の承認を受けて「強化尋問」と称する拷問を行っていた問題をめぐって、この強化尋問プログラムへのAPAの関与のあり方を示した新たな報告書が4月に公表されたのです。この報告書は、APA幹部役員が2003年から2006年の間に 交わしたEメールの分析が基になっていますが、それらのEメールはAPA幹部とCIA担当官との間に直接的なやり取りがあったことを示しています。また同報告書によると、APAは秘密裡に政府高官らと結託し、強化尋問プログラムへの会員の関与が可能になるよう、学会の倫理規定を変更したとされています。
ブッシュ政権にとって、尋問の現場に心理学者が立ち会っていることは重要でした。なぜなら尋問は専門家の監督のもとで行われているから尋問の域を超えることはない=拷問ではないとの弁明ができるからです。実際には、水責めをはじめとするきわめて非人道的な拷問が行われ、しかもその拷問プログラムを開発したのは APAに所属していた心理学者でした。APAは政府に協力して不都合な事実の正当化を図ったのです。 リフトンはこの報道に関して、APAが拷問に組織的に関与していたことを「別のレベルのスキャンダル」だと糾弾します。拷問プログラムの開発に関与した心理学者個人の倫理を問うことはもちろんですが、世界最大の心理学者の団体であるAPAという権威ある組織が、明らかな非人道的行為に対し、倫理的に問題はないとの判断を下したことは、より深刻な問題をはらんでいます。
リフトンの分析によれば、専門家は集団の規範に自分を適応させようとする傾向があり、たとえ倫理に反する行為であっても、上からの命令や承認があれば、それを自分の役割として受け入れてしまうといいます。それはときに専門家集団をホロコーストのような大罪に加担させることにつながります。ナチスの医師について研究書を出しているリフトンは次のように言います。「ナチスの医師たちを研究した時の私の関心は、この極悪な専門家たちはどのようにジェノサイドに加担したのかということでした。しかし研究を進めてわかってきたのは、どんなジェノサイドにも専門家の存在が必要不可欠だということです。専門家たちは立派な教育を受け、ジェノサイドの核心部分を担う能力があります。だから彼らはジェノサイドを正当化する根拠と、それを実行する科学技術を生み出すのです」
後半の動画で、リフトンは専門家が社会との関わりの中で、どのように倫理的に行動するかという問題を強く意識してきたと語っています。それはリフトンの研究対象であった20世紀の負の歴史を裏で支えていた専門家たちと同じ過ちを繰り返してはならないというリフトンの強い決意とも言えます。専門家には社会の中で果たすべき役割、担うべき責任があるということでしょう。その考えは、広島の被爆者の研究を行った後に、積極的に反核運動に携わってきたリフトン自身の行動に体現されています。(水谷香恵)
*ロバート・ジェイ・リフトン(Robert Jay Lifton) 米国の代表的な精神医学者で著書多数。ニューヨーク市立大学の精神医学・心理学の名誉教授。国内外で多数の賞や名誉学位を受けている。『広島を生き抜く』 、The Nazi Doctors: Medical Killing and the Psychology of Genocide(『ナチスの医師たち 医療殺人とジェノサイドの心理』)など多数の著書がある。最近、Witness to an Extreme Century: A Memoir(『極限の世紀の証言者 ~回想録』)というメモワールを出した。 。
字幕翻訳:朝日カルチャーセンター横浜 字幕講座チーム 千野菜保子・仲山さくら・水谷香恵・山下仁美・山田奈津美・山根明子・渡邊美奈 全体監修:中野真紀子