70年前に強制収容された12万人の日系米国人:ふたたび起こる可能性
かつて米国に「強制収容所」が存在し、移住した日本人(一世)や、その子や孫の世代までが収容されていたことは、米国人のあいだで正しく認識されているのでしょうか?どうやらその答えは否、のようです。米国史の「恥」であるその事実はあまり語られる機会はありません。シリア人の定住拒否の正当化に在米日本人・日系米国人の強制収容を持ち出すバージニア州ロアノーク市の市長の発言のように、収容されたのは「在米日本人」すなわち日本国籍を保有する者だけであったという誤った発言も取り上げられています。<br><br>
真珠湾攻撃といった、米国人の反感を煽る記憶を都合よく利用して、自分たちの過去の行いのみならず今日の難民受け入れの拒絶までをつなげて正当化しようとする市長には、ヒスパニックやムスリムへの憎しみや恐怖を用いて票を勝ちとろうとする大統領候補たちの姿が重なります。共和党の大統領予備選では、トランプ氏のみならず各候補者が競うようにイスラム教徒の監視や管理強化や、メキシコからの越境移民への極端な対策を主張していました。<br><br>
移民への憎しみと恐れが発生する過程は、いつも似通っているのかもしれません。安い労働力として重宝される一方、仕事を奪うものとして憎まれる。自分たちとは異なる外見・文化風習を持つ「異邦人」して恐れられる。戦争やテロの危険といった要素が加わればそれはさらにエスカレートします。実際に何かが起きたわけではなくても「予防措置」として隔離・強制収容された在米日本人・日系米国人。自身の両親と祖父母が収容されていたというマーク・タカノ議員が米国でのムスリムへの差別の高まりを憂慮する議会での発言には説得力と切迫感があります。<br><br>
現在の視点からすれば、明らかに米国憲法違反であり人権侵害であった在米日本人・日系人の財産没収、強制収用などの蛮行は、当時は完全に合法であるとされ異論を唱える人はほとんどいませんでした。そして、解放された日系人たちも、自分たちが受けた不当な処遇について語ろうとしませんでした。被害の体験を自らの恥として口をつぐんでしまったのです。<br><br>
強制収容された日系人に対しては、1988年レーガン政権時に初めて謝罪・賠償金の支払いが行われました。しかし、日系アメリカ人も決して一枚岩ではなく、なおかつ賠償を求めようとする三世と過去を語りたがらない二世の間に分断をもたらすことにもなったのです。<br><br>
ゲストのカレン・イシヅカ氏は、「婉曲的な表現は事実を矮小化する」として、「転住センター」「抑留」といった言葉を拒否し、「強制収容所」「監禁」とはっきり言うべきだと主張しています。また、「もっと強制収容所のことを親世代に語ってもらうべきだった」とも語っています。<br><br>
強制収容の実際はどのようなものだったのか。なぜそのようなことが可能になってしまったのか。イシヅカ氏が言うように、婉曲表現をやめ、事実を正しく認識することからその問いは始まり、丁寧に検証することが必要です。(仲山さくら)
*カレン・イシズカ(Karen Ishizuka):ロサンゼルスでアジア系米国人運動にかかわる日系三世。全米を巡回する『米国の強制収容所:日系アメリカ人の体験を記憶する』展のキュレーター。『遺失物 日系アメリカ人強制収容の記憶を取り戻す』の著者。近著は『人民のために尽くす:怒涛の60年代におけるアジア系アメリカ人の誕生』。 *リチャード・リーブズ(Richard Reeves):『汚点:第2次世界大戦中の日系アメリカ人収容をめぐる衝撃の真実』をはじめ多数の著作を持つベストセラー作家。南カリフォルニア大学のアンネンバーグ・コミュニケーション学部の上級講師。
字幕翻訳:デモクラシー防衛同盟 千野菜保子・仲山さくら・水谷香恵・山下仁美・山田奈津美・山根明子 /全体監修:中野真紀子