アフリカの独立運動を支援したフィデル・カストロとキューバの知られざる歴史

2016/11/28(Mon)
Video No.: 
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13分

2017学生字幕翻訳コンテスト 課題6:「知られざる歴史」の受賞作です。

キューバのフィデル・カストロが2016年11月25日に亡くなりました。90歳で亡くなるまでに、CIAなどが仕組んだ暗殺計画を600回以上も潜り抜けてきましたが、2006年以降は健康がすぐれず、2008年に弟のラウル・カストロに正式に最高指導者の地位を譲りました。1959年に米国が担ぐキューバの独裁者フルヘンシオ・バティスタ政権を倒した革命の成功は世界中の革命運動に大きな刺激を与え、米国からは仇敵とみなされるようになりました。デモクラシー・ナウ!の一時間の追悼番組から、あまり知られていないアンゴラ紛争への直接介入についての部分を取り上げます。

ポルトガル植民地だったアンゴラは1975年に独立を勝ち取りましたが、その直後に独立運動を担った3勢力─アンゴラ解放人民運動 (MPLA)、アンゴラ民族解放戦線 (FNLA)、アンゴラ全面独立民族同盟 (UNITA) ─の間で内戦が勃発しました。社会主義を掲げる最大勢力MPLAが首都のルアンダをおさえて新政権を樹立しようとすると、これを阻止するために米国がFNLAやUNITAを支援したためです。おまけに南アフリカのアパルトヘイト政権もUNITAを支援し、正規軍を送り込んでルアンダに迫りました。危機に陥ったMPLAを救うため、キューバは36000人の兵士を派遣して南アの軍を食い止めました。以降1991年の内戦終結までに30万人以上のキューバ人が、兵士だけでなく医師や教師や技術者としてアンゴラで活躍したそうです。南アフリカのアパルトヘイト政権にとってはアンゴラでの敗北が決定的な打撃となり、3年後の1994年には全人種による初の総選挙が行われアパルトヘイトは撤廃されました。

アンゴラ内戦は米ソ対立の代理戦争として語られることが多いのですが、何万人ものキューバ兵が異国の地で戦い、そればかりでなく医療や技術支援も行った背景には、単に冷戦構造だけでは説明できない強い絆があったのだと、ゲストのビル・フレッチャーは言います。キューバはスペイン植民地時代に大規模な砂糖プランテーションで栄えました。それを支えた労働力はアフリカ大陸から連れてこられた大勢の奴隷です。その子孫である多くのキューバ人にとって、アフリカは先祖の地なのです。南北アメリカ大陸やカリブ海に散らばったすべてのアフリカ系の人々(アフリカン・ディアスポラ)の覚醒と連帯を唱えてきたフレッチャーのような人々にとって、キューバのアンゴラ介入はまさにその具現化だったようです。(中野真紀子)

*ビル・フレッチャー(Bill Fletcher):長年にわたり労働運動や人種的正義の活動を国際的に展開してきた。TransAfrica の元代表。BlackCommentator.comのコラムニスト、編集委員。Black Radical Congressの創始者。

Credits: 

字幕翻訳: 田原由紀子 SOAS University of London 修士1年(2017学生字幕翻訳コンテスト受賞時)
監修:中野真紀子