【EXPRESS】 特別番組:トロイ・デイビス処刑の夜──無実の訴え 世界各地で高まる支援の声も空しく ジョージア州が死刑を執行
42年の生涯のほぼ半分を死刑囚監房で過ごしたトロイ・デイビスさんが、2011年9月21日午後11時8分、亡くなりました。死亡診断書に記された死因は、「殺人」。手をくだしたのは、ジョージア州。薬物注射による死刑が執行されたのです。デモクラシー・ナウ!では、2007年以来、無実を訴えながら3度も処刑寸前に追い込まれたデイビスさんの支援活動を克明に追ってきました。9月21日には処刑予定時刻の午後7時をはさみ、ジョージア州ジャクソンの刑務所敷地内で午後6時から8時まで特別番組の放送を計画していました。7時をまわった頃、歓声があがり、連邦最高裁判所が処刑延期を命じたと信じた人々は、喜びでわきたちました。しかし、これは誤報とわかり支援者たちは一縷の希望にすがりながら最高裁の最終決定を待ち続けました。、結局、6時間連続の生実況放送になった特別番組。翌朝の22日の番組で放送された、処刑の夜のハイライト特別レポートをお届けします。
(事件のあらまし)
1989年8月19日午前1時すぎ、ジョージア州サバナのファストフード・レストラン「バーガーキング」の駐車場で、ホームレスのラリー・ヤングが拳銃で殴られているのを止めにはいったマーク・マクフェイルが、心臓と顔を撃たれて射殺されました。マクフェイルは警察官ですが、非番の時間にこのレストランでガードマンとして働いていたのです。殺人事件の数時間前、トロイ・デイビスはあるパーティに出席していましたが、友人のダリル・コリンズと一緒に会場から出たところを、通りすがりの車から罵声を浴びせられました。この時、何者かによる銃撃で、車に乗っていたマイケル・クーパーが負傷しました。デイビスとコリンズはその後、玉突き場で遊んだ後バーガーキングに向かい、駐車場でシルベスター・”レッド”・コールズがヤングと口論しているのに出くわしました。このもめごとの最中に、マクフェイルが殺されたのです。殺人現場から銃は発見されませんでしたが、銃弾から38口径の銃から発射されたことがわかりました。19日、弁護士と共に警察に出頭したコールズは、デイビスが38口径の銃でヤングを殴ろうとした、警官を撃つのも見たと証言しました。裁判で弾道専門家は、殺人に使われた銃がクーパーを撃った銃と同じである可能性はあるが疑わしいとしました。裁判には、後になって殺人現場近くでホームレスの男がたまたまみつけたとされる薬莢も証拠として提出されていましたが、専門家は、偶然発見されたと称されるその薬莢がクーパーを撃った銃の薬莢と一致する可能性は高いと証言しました。
(目撃者が続々と証言を撤回)
強力な物的証拠を欠いたため、1991年の裁判では、目撃者の証言が大きくものを言いました。7人の証人がデイビスがマクフェイルを銃撃するのを目撃した、2人がマクフェイルを殺害したとトロイ・デイビス語るのを聞いたと証言し、有罪判決が下りました。ところが、判決後、9人のうち7人が証言を変更・撤回し、中の数人は証言内容は警察に強要されたものだったと断言しました。証言を変えなかった2人のうち、シルベスター・”レッド”・コールズは、真犯人ではないかと目されている人物です。残りの一人は射撃犯の服装を見たが、顔は見えなかったと証言していました。現場は、とても暗かったのです。デイビスは一貫して無実を主張し、判決の正当性に大きな疑惑が持たれるようになりました。
(3度も処刑寸前に)
2007年6月25日、最高裁判所への上訴が却下され、7月17日が死刑執行日に指定されました。ノーベル平和賞受賞者のツツ大主教やローマ教皇ベネディクト16世、元FBI長官のウィリアム・S・セッションズ、ジェシー・ジャクソン・ジュニアほかの政治家などが助命や処刑延期を嘆願し、アムネスティ・インターナショナルが嘆願書4千通を集めて圧力をかけたため、ジョージア州恩赦委員会は処刑予定日前日に執行を延期し、疑いのもたれる証拠を再検討するよう求めました。弁護団は裁判のやり直しを求めましたが、ジョージア州最高裁は、2008年3月、請求を却下しました。
2008年7月、弁護団は連邦最高裁に上訴しましたが、ジョージア州最高裁は、連邦最高裁の決定を待たずに2008年9月23日を処刑日と指定し、恩赦委員会も恩赦を拒否しました。アムネスティ・インターナショナル、ジミー・カーター元大統領、NAACP(全米黒人地位向上協会)、元共和党議員で当時大統領候補だったボブ・バーなどが処刑延期を求めて支援運動を展開し、連邦最高裁は処刑予定時間の2時間前に、緊急の処刑延期命令を出しました。
しかし、連邦最高裁は2008年10月14日、上訴を却下し2008年10月27日が処刑日とされました。弁護団は無罪を訴え第11巡回上訴裁判所に死刑執行の停止と新たな連邦訴訟を起こすことを認めるよう求めました。
2009年4月16日、連邦控訴裁判所は再審を拒否しました。弁護団は連邦最高裁への働きかけを続き、2009年8月、連邦最高裁はジョージア州連邦地方裁判所に対し「裁判当時、収集できなかった証拠がデイビス死刑囚の明らかな無罪を証明するものかどうか、新たな証言や誓約書を受け入れ事実認定をするように」と命じ、新たな審理を指示する異例の措置を取りました。しかし、2010年8月、ジョージア州連邦判事は、デイビスのえん罪の訴えを却下しました。
2011年3月、弁護団は新たな上訴を行いましたが、連邦最高裁は再審請求を棄却しました。法的な再審請求の道は尽き、デイビスの運命はジョージア州恩赦仮釈放委員会の手にゆだねられることになりました。
2011年9月21日に設定された処刑予定日が近づくにつれ、デイビスの姉のマルチナ・コレイアさんを強力な推進力とした家族や友人、アムネスティ・インターナショナルとNAACPを中心に、処刑延期嘆願と死刑廃止を求める運動がもりあがりました。「トロイ・デイビスは私(I am Troy Davis)」というキャッチフレーズをつけたトロイ・デイビスのポートレイトがインターネットを通して世界各地に広まり、グローバルな支援と関心をまきおこしました。支援団体は60万を超える嘆願書を集め、ジョージア州法の下で執行猶予を認める唯一の権限を持つ恩赦委員会に働きかけましたが、同委員会は9月20日恩赦を与えないと決定し一切の望みは絶たれたかに見えました。それでも、支援者たちは、連邦最高裁判所に処刑延期を求め嘆願を続けました。
9月21日、沈痛な空気が漂う中、支援者たちは執行場所となるジョージア州ジャクソンの刑務所前で集会を続けました。処刑予定時間とされていた午後7時をまわったころ、集まっていた人たちから歓声があがりました。「最高裁が処刑延期を命じた。奇跡が起きた!」しかしまもなく誤報とわかり、一瞬の歓喜はたたきつぶされました。最高裁は、嘆願書の検討をするため、しばしの猶予を求めただけだったのです。息をつめながら、人々は最高裁の決定を待ちました。けれども、4時間近くの人々の必死の祈りは実を結ばず、最高裁は処刑に介入しないという決定を出しました。その決定直後の午後10時53分に刑の執行が開始され、トロイ・デイビスは午後11時8分に帰らぬ人になりました。
(デモクラシー・ナウ!の特別報道)
デモクラシー・ナウ!では処刑予定の夜、エイミー・グッドマンがジョージア州ジャクソンに赴き、刑務所の敷地内から2時間の特別番組を計画していました。ところが、思わぬ最高裁の決定待ちで予定が大幅に伸び、結局、6時間にわたる特別実況番組をライブストリームで行うことになりました。敷地内から継続して放送を続けたのは、デモクラシー・ナウ!だけでした。一夜開けた22日の番組では、処刑前の支援集会で語る姉のマルチナ・コレイア、ぬか喜びに終わった「奇跡」の知らせの一瞬、立会人が語る処刑の模様とトロイ・デイビスの最後の言葉、NAACP会長ベン・ジェラスが語る米国の死刑廃止運動の流れと現状、トロイ・デイビスの人となりなどを伝える特別レポートが放送されました。ジェラスが語るように「奇跡か葬儀かと覚悟していたら、両方を体験することになった」一夜の貴重な記録です。処刑の立会人となったジャーナリストのジョン・ルイスはこう語っています。 処刑室で「デイビスは、殺害された警官マーク・マクフェイルの家族に、お悔やみの言葉を述べると共に、彼らの息子、父親、兄弟にあたる人の命を奪ったのは、自分ではないと述べました。 また、事件をもっと掘り下げて、真実を究明してほしいと語りました。 次に、刑務官に向かい、『私の命を奪う皆さん、神のご慈悲を』と、言いました。 彼らに向けての言葉である 『皆さんの魂に神の祝福がありますように』が彼の最後の言葉となりました。」(大竹秀子)
*トマス・ラフィン(Thomas Ruffin): トロイ・デイビスの弁護団の一員。処刑の立会人になった。
*ジョン・ルイス(Jon Lewis): WSB ラジオの記者。処刑の立会人となった3人のジャーナリストの1人
*エド・デュボーズ(Ed DuBose): NAACP (全米黒人地位向上協会)のジョージア州支部長。
*ビッグ・ボーイ(Big Boi): ヒップホップ・アーティスト。アウトキャストのメンバーで、ジョージア州出身。
*マルチナ・コレイア(Martina Correia):トロイ・デイビスの姉。トロイ・デイビスの無実を訴え死刑撤廃を訴える活動の中心人物。
*ベン・ジェラス(Ben Jealous):NAACP の会長兼CEO。
*ジェイソン・ユーアート(Jason Ewart): トロイ・デイビスの弁護団の一員。デイビスの処刑の立会人になった。
字幕翻訳:大竹秀子 全体監修・サイト構成:桜井まり子