ウディ・ガスリー:秘蔵映像とリバイバル・ソングで綴るラディカルな人生 パート1

2012/7/4(Wed)
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45分

2012年、米国が生んだ最も偉大なソングライターの1人、ウディ・ ガスリーの生誕100年記念イベントが全米で開かれました。ウディ・ガスリーという名は知らなくても「我が祖国」(This land is your land)という歌は知っているという人は多いでしょう。1970年代のフォーク・ブームになじみのある世代には、ボブ・ディランやピート・シーガーに多大な影響を与えたシンガーソングライターとして知る人も多いと思われます。「我が祖国」がしばしば「米国の第二の国歌」といわれ、ガスリー自身も切手に登場するなど国民的栄誉を与えられるなか、ウディ・ガスリーの活動家としての面に焦点を当て、その波乱に富んだ人生を振り返ります。

前半では『ウディ・ガスリー:アメリカの急進派』の著者ウィル・カウフマンが未発表曲の演奏をまじえてガスリーの軌跡をたどります。カウフマンによると、ガスリーは自らを「ラディカルで孤独なソウル」と呼んでいましたが、その源流にあるのはジョン・スタインベックの「怒りの葡萄」の背景にもなった「ダストボウル」(1930年代半ばにアメリカ中西部の広大な耕作地帯を壊滅させた巨大な砂嵐)でした。オクラホマ州やテキサス州の農民は土地を捨て、果樹園での職を求めてカリフォルニアに向かいました。ガスリーはカリフォルニアで、このような被災家族が「オーキー」と呼ばれ、ひどい差別に遭うのを目にします。

後半ではガスリーの影響を強く受けた英国のミュージシャン、ビリー・ブラッグが登場し、1930年代に書かれたガスリーのオリジナル・ソングを演奏します。「1930年代のウディの歌には、銀行によって家を差し押さえられ、いくら働いてもまともな暮らしができず、医療制度がないために死んでいく人々、その横で株の相場師が大金を稼ぐ姿が描かれている。アメリカ合衆国の過去5年間に書かれたと言っても全くおかしくない」とガスリーの今日性を指摘します。(桜井まり子)

*ウィル・カウフマン(Will Kaufman):Woody Guthrie, American Radical (『ウディ・ガスリー、アメリカの急進派』)著者。セントラル・ランカシャー大学でアメリカ文学を教える

*ピート・シーガー(Pete Seeger): 米国を代表するフォーク・シンガーで活動家

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字幕翻訳:齋藤雅子 校正・Web作成:桜井まり子